『Call me by your name』 における名前の役割 ※少し追記
『Call me by your name』 における名前の重要さ
※これは勝手なもふもふの考察です。
※ほぼほぼ箇条書き。
※論理は破綻していると思います。
※ネタバレだらけぇ
※へぼい英語力なので、誤解している点もあるかも。
※ただ単に思っていることを書きたかっただけ。
※ちょこちょこと追記していきます。
Call me by your name (邦題:君の名前で僕を読んで)において、タイトルにもあるように『名前』というのは重要な位置を占める。
印象的な文章『call me by your name, and I'll call you by mine』はこの物語の中心となる。
物語の最後の一文も『call me by your name』で終わる。
なぜそこまで、この物語において名前がそこまで重要なのであろうか。
この問いに対し、私は簡潔な答えを出した。
それは、現代社会において名前=その人自身のアイデンティティを指すから、である。
自分が好意を抱いている「その人自身」になることで、自分は相手を所有することが出来る。
自分がその人になる、それ以上にその相手を所有する術はあるのだろうか。
(少し違うかもしれないが、結婚をしたときに名字を相手のものに変えるのはそういった側面があるのかもしれない。)
もちろん、これは二人だけが知っている秘密の「game」である(月日がたち、oliverは既に忘れているようであったが)。
このgameを考案したのはOliverであり、Elioではない。
それだけ、OliverはElioを求めたのであろう。
ElioはOliverにはない、純粋さ、無邪気さ、若さがある。
彼はそれに惹かれ、Elioの躰を所有した。
恋愛、というのは対象である相手と一体化したいという想いである。
セックスが物理的な究極の一体化だとすれば、
相手の名前をもらうというのは精神的な一体化となるのではないであろうか。
彼(オリヴァー)みたいになりたかった(邦訳 p35)
僕は君の情欲と一体化したい。(邦訳 p109).
また、もう一つ考えられるのが、好きな人に自分の名前を重ねることで自己肯定感を高めるというプロセスを踏んでいるのかもしれないということである。
Oliverは傲慢でプライドが高く見えるが、独りで悩み続けている面もある。
映画では出てこなかったがElioと躰を重ねる直前では、不安からかマリファナを嗜んでいる。
初めて躰を重ねた後、一瞬夢から覚めかけたelioを、彼のアレに触れることによってもう一度自分への情欲を『立ち上がらせた』のも、oliverであった。
その行為からは、自分への興味が薄れてしまうことに対する恐れがみられる。
Oliverはまだ世の中を知らない、自分にまっすぐな愛情を向けてくるイノセントなElioになることで、そんな不安定な自分から逃れていたのかもしれない。
よく考えると、自分で自分の名前を呼ぶというのははたから見ると滑稽である。
しかし、その行為はある種自分を客観的にみるメタ認知行動にも通じるものがあるように思える。
OlvierはElioを通して「自分自身」を見ていた、のかもしれない。
夢のような夏を過ごしたOliverはアメリカに帰り、『現実』に引き戻される。
そして、もういちどElioに会いに戻ってきたクリスマスには『出来ないんだ』と言って、Elioと躰を重ねることを拒絶し、次の夏には早々に結婚を決めてしまう。
現実のアカデミックな世界で成功したOliverにとって、自分の名前をElioを通して呼ぶ必要はなくなった。
しかし、Oliverを忘れられず、自分自身に対してinsecureなElioはいまだに彼にとらわれている。
そしてOliverに切望する。
Call me by your name、と。
ってところで疲れたので寝ます。ぐごー
本当に、もふもふのつたない英語力でざっと読んだだけだから間違っていることとかたくさんあると思うけど、気にせんでな~。
思ったんだけど、これでElioがOliverに見切りをつけて、自分より学歴のない子に惹かれてどこかに行ってしまったら、それはもう、モーリスですね!
この訳、素晴らしいです。
フォースターの美しい原文をよくぞここまで美しい日本語にしてくれた....(´;ω;`)