好きなものや興味が変わらないって、人ととして「成長していない」と思っていた

もふもふは、最近内省的です。

仕事先で毎日同じ愚痴を言っている同僚たちが不思議でたまらん。

 

表題の件だけど、最近思っていたのですが、大学院進学じゃなくて就職を選んだ時、もふもふは、「好きなことが変わっていないって、人としてやばくね?」と思っていたのですよね。

 

 

この場合、もふもふの好きなことは、

小説を読むこと

特に、クイア文学(BLとか商業主義的なものとは少し違う)を読むこと

 

 

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

ゲイ短編小説集 (平凡社ライブラリー)

ゲイ短編小説集 (平凡社ライブラリー)

 

 

イギリスやヨーロッパの田舎に思いを馳せること

自分が知らなくてかつ興味があることを突き詰めること

 

これかな。

 

そして、もふもふは20年以上誰にも強制されずにやってきたことを残念ながら、「人間的成長がない」と切り捨ててしまっていたようです。

 

じゃあ社畜になることが成長なの?!と今、天から声が降ってきました(笑)

 

よくよく考えたら、大学の教授なんて、何十年と同じものに対して研究し続けているし、そもそも「成長」ってなんなんだろう?

 

自分の満足のいく人生に「成長」なんて必要なのだろうか。

そもそも、満足のいく人生なんて幻想でしかないのだろうな。

きっと、留学したらしたで、「どうしてこうなったんだろう」と思うときも来るだろうし、しなかったらしなかったで「なんでしなかったんだ!きっともふぃあんせという足かせがあるからだ!」とか誰かのせいにするのでしょうか。

 

大学院に行きたいのだって、人によっては逃げだという人もいます。もっと現実見ろよ。と、親は言うでしょう。

でもそれは他人の目線、視野でしかないのですよね。

 

もふもふは、大人になったらお金は稼いで当たり前だ!と強く思っていました。

でも、30になってもイギリスで奨学金をもらいながら楽しく暮らしている人を見たときに、

「なんでその固定概念が当たり前なんだ?」

と今では思うようになってきています。

 

だから、今回はローンなしの奨学金で行かせていただく予定です。

 

自分が「○○に決まっている!」という固定概念を消し去った時、また見えてこない人生が見えてくるのだろうな。

 

 なにかコメント等あったら、是非記載してくださいね。

 

    
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