祖母を看取って感じたこと
祖母を看取って感じたこと
お久しぶりです、もふもふです。
突然ですが、先日祖母が永眠しました。
最後には、本当に安らかな表情で天国へ行ったので、こちらとしては良かったかなと思います。
3日ほど、家族と交代しながら祖母を見守っていましたが、とても不思議な経験でした。
ホスピスだったので、ここに入院されている方っていうのは、もう先が長くはないのですが、本当にいろんな方がいらっしゃるのですね。
私の祖母は、もうほぼほぼ意識がない状態で入院しましたが、しっかりと自分の足で立って、私たちに挨拶をしてくれる方や、共同の部屋で世間話をする方もいました。
でも、きっと来年の今頃にはここにいる人たちの何人かが、いや、もしくは全員がこの世から旅立っているのだろうと考えたとき、正直命の儚さを思い知りました。
夜、一生懸命息をしていた祖母の息の感覚がだんだんと伸びて、最後に止まった時、悲しいという気持ちを通り越して、「こうやって人生が終わるのだね。」と、遠く離れたところから、もう一人の自分が見ている感覚になりました。
最初は、こうやって普通に生きていることが、どんなにありがたいことか、と思っていました。
けれども、だんだんと、通夜の際にお経を唱えながら考えが変わっていきました。
お経では、辛い俗世から離れ、あの世で安らかに過ごすことについて語られています。(違っていたらすいません。)
そう考えたら、祖母はもう幸せだと思います。
あの時代に一人っ子で、大学時代に母を亡くし、父も父が50歳の時に亡くなったそうです。親戚も少なく、通夜には誰も来ませんでした。
また、後妻だったので、あの閉鎖的な土地では色々と言われたのではないかなと思います。唯一慕っていた従兄も、5年ほど前になくしたそうです。
まだ祖父は存命中ですが、割とあたりが強い人なので、苦労は一杯したんだろうなと思いました。
きっと、寂しい思いはたくさんしたのではないかなと思います。姑にもさんざんいびられた様でしたし(そういや文句しか言っていなかった...)。
それを考えたら、あの世で安らかにどうぞ、お休みください。
と思います。
幸い、大泣きしてくれる友人が2人いました。
親族はほぼほぼ泣いていませんでしたが、私があの世へ行くときには2人でも友人は来てくれるのかなと思います。
人って、矛盾しているように聞こえるけれども、死ぬために産まれてくるとしか私には思えないんです。
私のこの世での使命、とかそんなの、無いとしか考えられません。
だからといって、無下に扱うことなく、日々を丁寧に、好奇心をもって生きていく、それしか残された私達に出来ることは無いな、と思います。
今日もおいしいホイコーローを作って夫君に食べてもらおう。
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